みなさまこんにちは。
いつもゆめ画材のブログへお越しくださりありがとうございます。
鉛筆や木炭、パステルやインク、様々な画材を用いて描かれた画家たちのデッサン(Sketch)をご一緒にお楽しみください。
ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens
はい、あのルーベンスですね。出し惜しみなしです。いきなりルーベンスです。
動きまで描きとった様な躍動感のある筆致。計算されつくした様な構図。その場の空気や雑音、喧噪まで伝わるような素描ですね。
右は構図を探っている段階なのでしょうか。さっと描かれているようでありながら人物の骨格に基づいた体型や姿勢の描写に思わずため息が出てしまいます。群像がきれいに画面に収まり、それぞれがバランスを担っている、絶妙にうつくしい構図がこうして構築されていくのですね。
左のデッサンでは、鉛筆で大まかに下書きを配置し、ペンで上から描き込んでいる様子が見てとれますね。
宮廷や貴族からの“ご依頼作品”では当然ながら豪奢でドラマティックな壮大さを湛えているので、ルーベンス絵画のイメージとして強くなりがちですが、実際の彼はこのように身近なテーマを描くことも好んでいました。社交家で、家族や友人をたいせつにしたと云われる彼の人柄がうかがえるようですね。
ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーガン Eugène Henri Paul Gauguin
ゴーガンらしい、非常にゴーガンらしい(強調)タヒチの女性が描かれています。
物憂げなモデルの表情には、少しの戸惑いすら感じられるような気がします。首から上に重点をおいた描写によって人物の雰囲気や内面を掘り出し、紙の上に映し出したかのような印象的な作品となっています。女性の肌の質感まで感じられ、独特の彩色によって表現される絵画とは一味違った画家の作品の魅力を堪能することができます。
この絵にどこか懐かしさのようなものを感じるのは、彼がジャポニスムの描画図法に影響を受けその作品に取り入れていたからなのでしょうか。
本格的に画家を目指し始めた時期さえ(当時の感覚ではなおさらのこと)他の画家陣と比べれば遅いと言われるゴーガンですが、裏を返せば「そこまでしてでも」絵を描く運命にあった人なのだということなのかも知れません。
歌川 貞秀 Utagawa Sadahide
続いて、浮世絵師 歌川貞秀の素描を見てみましょう。
人物と手前の樹木を構図の脇に寄せ、上部中ほどに抜けた何もない空という余白を取った構図が、奥に臨む善福寺や遠景の広がりを際立たせていますね。
当時の文化や先端風俗を簡潔な線によって表した浮世絵は独特のデフォルメがなされており、後の劇画や現代の漫画文化へと脈々とこの国に根付き、生き続けている気がします。
いやぁ、面白いんですよね。浮世絵のデッサン。最小限の(というかほぼ無いくらいの)印影しか用いられていないにも関わらず、のっぺりとしてるわけではない。和食の“出汁”的な奥深い味わいが感じられる…気がしませんか?
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec
洗濯物をカゴに入れた女性が目の前を横切る様が描かれています。女性の表情は目元に影が描き込まれていながら丁寧に表現されており、よく見るとホワイトの画材が効果的に用いられていることがわかります。ロートレックらしい、輪郭を太めに縁取った特徴も見られますね。三点透視を用いた構図で、上部に奥行きを持たせることで、道路に続く往来の動きを感じさせています。
女性の頭からスカートの膝のあたりまでにバーンと焦点が当たった構図は、レタリングを加えればもうこのままポスターとして成り立つ様相です。それにつけてもこのおしゃれ感、センスですよね。
ジョルジュ・スーラ Georges Seurat
点描画の鬼、スーラのデッサンです。面白いです。やっぱりスーラ。どこから見てもスーラとしか言いようがありません。そして、パッと見、ぼーっとした絵にしか見えません。
手前の人物はすべて逆光のように影になっています。遠視的に描かれた本作品もデッサンでありながら印象主義絵画の特徴を踏襲して表現されています。ステージ上で眩い照明に照らされ浮かび上がる歌手と、憧れを抱え遠くから眺める画家の視点という対比に吸い込まれるような作品です。
色彩の理論を科学的な切り口でとことんまでに突き詰めたスーラですが、色彩の原点が光であるということを思えば、こうした素描画にこそ彼の真骨頂といえるのかも知れません。
いかがでしたでしょうか。
デッサンの基本姿勢である“素描”を繰り返すことによって、やがて自らの筆致を溶け込ませ、後世にまで褪せない魅力を湛えた作品を生み出した画家たち。彩色がないからこそ武骨なまでに訴えかける味わいは、デッサンならではなのかもしれません。
それではまた次回お会いしましょう♪